WALATTE,WALATTE!!

walaco.exblog.jp
ブログトップ
2008年 12月 15日

307年前

テレビでドラマをやっていて思い出した。
12月15日は赤穂浪士討ち入りの日だ。
1701年のことだから307年前のこと。
今でもこうやって毎年、何らかの形で思い出させてくれる。

正確に言えば、14日夜から準備が始まって、
15日の朝4時ごろに吉良邸に討ち入ったといわれている。
雪が降っていたかは定かではない。
でも、雪が降っている中で起こる事件は、
とてつもなく重大で劇的な感じがします。
雪に血をイメージするのは日本人ならではの感覚なのだろうか?
そして、あんな派手な火事装束ではなかったといわれている。
故・杉浦日向子先生によると、
全身黒ずくめ、目元しか出さないくらいの防寒具で、
誰が誰だかわからないくらいの装備だった、という。

忠臣か、人殺しか。
公儀や世間の論は二分したというが、
この事件が起こった5代目綱吉の時代は、
ちょうどこのあたりの価値観の変遷期にあったような気がします。
徳川初代~3代までの、武断政治の時代が終わり、
1660年ごろの武家諸法度(4代目家綱の時代)では殉死が禁止されている。
武士にとって「美徳」である習慣が禁止されたことは、
それ以降の武士の価値観が変わるきっかけとなったはずである。
殉死の禁止から約30年、ちょうど一世代入れ替わったあたりで起きた赤穂事件は、
強い忠臣を持った武士と、そうではなくなってきた新しい世代の武士と、
2つの思想が入り混じった中で「あれやこれや」と言われる的となったのだろう。

ちなみに仇討ちは、「親類を亡くした場合、藩に届け出れば可能」という許可制であった。
赤穂浪士は当然のことながら届出をしていないわけで、
そういった部分でも罪に問われても仕方がない。

結局のところ、いわゆる「喧嘩両成敗」におさめたわけで。
それもまたいかにも日本人的な解決方法。

ひとつ好きなエピソードがある。これは史実らしい。
朝方吉良邸でどんぱっちやっていたところ、隣の土屋家がそれに気付いた。
赤穂浪士数名で事情を説明しに土屋家を訪れると、
土屋家の主は幕府に通報することもなく、
吉良邸を照らすように、自分の屋敷の塀越しに家紋のついた提灯を掲げ、
さりげなく赤穂浪士を助けた、という。

ちなみにさっきやっていたテレビ朝日のドラマは微妙ーな感じで・・・。
田村正和嫌いじゃないけど、テレビ朝日のドラマ演出には合わないな。
唯一、雪を踏みしめる音が本物に近くて嬉しかった。
雪の降る夜にひとり外に出て雪を踏むと、ああいう音がする。

307年前の今、47人の義士たちは、明日の命は無いつもりで装束を着け、
武器の点検や討入りの手順の確認などをやっていたんだろう。
きっと、ほの暗い蝋燭の明かりのもと、寒さに身をひきしめながら。
[PR]

by pocket-xiao | 2008-12-15 00:29 | 今日ノ出来事


<< 結局高い買い物をしたのか?      思い立ったが >>