2008年 03月 14日

穢れ、の考察

スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」を見てきました。3年ぶり2回目。
前回よりも長く感じたのは道理で、実際台本が長いらしい。

といっても、この記事は感想とかそういうんじゃないです。

お芝居の内容は、古事記の記事をあまり崩さずに書かれているのだけど、
削られている内容で、ちょっと気になるところがある。
結構重要な部分だと思うのだけど、間違いなく「芝居にしにくい」のだと思う。

ヤマトタケルが東国の遠征を終えて大和国に帰る途中、
「伊吹山の山神」を退治に行く件がある。
ここでタケルは守り刀の草薙の剣を持ってこなかったがために痛手を負い、
結局それが死につながってしまう。
「ヤマトタケルの慢心が自らを死に追いやった」ということになっている。
慢心は原因の一つであって、もう一つ、タケルはやらかしているのだけど、
それはお芝居では描かれてはいない。

タケルは伊吹山に出かける前日、尾張国で婚礼を挙げている。
このとき娶ったのはミヤズヒメという娘なのだけども、
この婚礼の日、ヒメは月の障りであったとされている。
(実際、古事記に隠し言葉でそう書かれている)
平安時代などの宮仕えの女房の日記にも記載があるのだけど、
月の障りの女性は、「穢れ」「ケガレ」とされ、出仕してはならないことになっている。
タケルは婚礼の席でそれに気付きながらも、ヒメを娶ってしまう。
つまり、タケルにも穢れが付いてしまったということ。

神の住処に行くのに、穢れた体で行くことにまず第1の誤りがあり、
次に神剣を忘れたことが第2の誤りとなる、のが本筋ではないかと。

・・・まぁ、芝居にできないよね。

私、この件は「穢れ」「物忌」とかそういう日本の風習の重要さが表されてて
重要視しているんですけど。
[PR]

by pocket-xiao | 2008-03-14 00:49 | 今日ノ出来事


<< 社会人っぽい      埋もれているだけ >>