2008年 11月 27日

その時

歴史が動いた(NHK)、の11月26日放送分が秀逸であった。
歴史番組は相当気分が乗らない限りは普段は見ないのですが。

この日は豊臣と徳川の最後の戦いとなった大坂夏の陣を描いた
「大坂夏の陣図屏風」を取り上げ、いかに夏の陣が悲惨な戦いであったかに注目をし、
徳川の勝利の裏側を浮かび上がらせていた。
私はこの「大坂夏の陣図屏風」というものの存在を初めて知ったし、
こんなに悲惨な柄の屏風も初めて見た。

大阪城天守閣に保存されているこの六曲一隻、二双の屏風の右隻には合戦の様子、
それも大将の様子が中心となって描かれ、
この部分は一般的な合戦図屏風の様相。
左隻は、合戦に破れた豊臣氏の城下に住む民衆が、
徳川氏の雑兵によって惨たらしい目にあっている様子が描かれている。
首を切られ放置された遺体、その遺体にすがって泣く女の姿、
逃げようと川に飛び込むも溺れて流される大勢の人、
家財や着物を略奪される老人、襲われる女たち、さらわれる子供たち。
まるで地獄絵図のような屏風絵である。

番組の中では、ピカソの代表作であり、同じようなテーマである「ゲルニカ」になぞらえ、
この屏風のことを「戦国のゲルニカ」と呼んでいた。

ひどく心が揺さぶられるような気がしました。
私は大坂夏の陣は豊臣側の自害によって割と平穏無事に終結したものだと思っていた。
徳川の勝利の裏にあった、必要以上の虐殺や略奪は、
下級武士が徳川から扶持や石高をもらうために行ったものであったらしい。
罪のない民衆の首や血が、徳川の家臣の大名を支えたと思うと、
平和だと言われる江戸時代も、血なまぐさい始まりだったと言うしかない。

この屏風を残したのは、福岡藩初代藩主の黒田長政と言う大名らしい。
黒田長政は徳川秀忠の家臣として大坂夏の陣に参戦し、
目の当たりにしたこの惨劇を、後に絵師を集めて描かせたのだという。
徳川の目に触れれば反逆とも取られてしまうような内容であるが、
黒田長政はキリシタン大名だというから、懺悔の気持ちで描かせたのかもしれない。

大坂夏の陣図屏風は大阪城天守閣にて年に数回、公開されているらしい。
(普段は複製が公開されているとのこと)
重要文化財というにはもったいない歴史的価値の高い作品、
これはぜひ見に行かなくてはならないと思った。
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by pocket-xiao | 2008-11-27 00:20 | 今日ノ出来事


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