2008年 11月 28日

思い出し話

今回の内容はこの前ふと思い出した、ただの私の脳内記憶の記録です。
あしからず。容赦ご容赦。

母方の祖父には、茶飲み友達が3人いた。
というか、たぶんもっといたのだけど、私が覚えているのは3人だけ。
夕方になるとふらっと現れ、小1時間ばかり世間話をして帰っていく。

ひとりは「チョイロさん」と呼ばれていた。
おそらくチョイロさんは祖父よりも年上だったと思う。
白髪で色白の、いつもニコニコしていたおじいさんであった。
後から知ったこととして、チョイロさんは大変なお金持ちだったらしい。
戦後、町の中心部ににできた歓楽街一帯の地主さんだったらしい。
今は小さなスナックが何軒かある程度だけど、
私が子供の頃はまだ、その辺りに映画館があった。
ちなみにそこで見た唯一の映画が「ドラえもん・のび太のリトルスターウォーズ」である。

チョイロさんはパチンコが大好きで、
茶飲みに来るときは大体がパチンコ帰りだったようで、
いつも景品のお菓子を持ってきてくれた。
景品のお菓子といっても、明治生まれのおじいちゃんが選ぶものだから、
「カルミン」や「サイコロキャラメル」やら、古臭いものが多かった。
それでもおやつがもらえると言うのは、子供心に嬉しかったもので。
祖父もパチンコが好きだったから、もしかしたらパチンコ仲間だったのかもしれない。

チョイロさんの次によく来ていたのが、「高橋さん」と呼ばれていた、
背の高い、ガタイの良い、物腰の柔らかいおじさんだった。
この方はどういう人だったかはよく覚えていないが、
祖父が亡くなった時に、いち早く駆けつけて、泣いてくれたのを覚えている。
祖父が亡くなった後も、お線香を上げにたまに来ていたのを覚えている。

もうひとりが、「皆川さん」と呼ばれていた、ふとんやさんのご隠居だった。
皆川さんは、頭頂部に髪の毛がなかったが、横と後ろの髪を伸ばして、
それを頭頂部で結っていた。つまり、ちょんまげを結っていたのである。
鬢付け油ではなかっただろうが、なにかしら髪に塗って、きちんとしていた。
それでいていつもスーツを着て、自転車に乗ってやってきていた。
ちなみに、母親の実家の布団、私の実家の布団、今私が寝ている布団は
全てこの皆川さんのお店で綿を打ってもらったものである。

という、本当に記憶の記録でした。
なぜかこの間ふっと思い出して、「あぁそんな人が居たなぁ」と
ひとりでしみじみしてしまいました。
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by pocket-xiao | 2008-11-28 23:32 | 雑言タハゴト


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