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2012年 12月 05日

今日は書かなくてはならない

あまりに予想外のニュースに飛び起きてしまった。
なんてこと、勘三郎が死んだだなんて。
何?何?どうして?
呆然とニュースを観る。よく分からない病名だし。

日中、仕事しながらネットのニュースを流し読みした。
急ではなかったらしい。
どうも、だいぶ長いこと悪かったらしい。
息子2人は死に目に会えたらしい。
そか。なら、まだちょっとマシかも。

長男の勘九郎は京都で襲名披露興行中。
舞台に穴は開けられない。自分のハレの席で。
親が死んでも舞台の幕は開く。そういう世界で、ある程度覚悟はできていたと思うし。

思えば4年前のシアターコクーン、「夏祭」を観た。
やばいと思った。こんなに歌舞伎は面白いものだった?
なんでもっと早く、一生懸命観に来なかったの?
それ以来、中村屋の芝居を時に追いかける日々が始まる。
歌舞伎を観てきちんと消化できたのは、先代猿之助の以来だ。嬉しかった。

決定打となったのは、おととし10月の平成中村座大阪公演。
「法界坊」。
もっとやばいと思った。なんじゃこりゃ。
それ以来、完全に追っかけと化す。
たぶんそれ以降の興行は、ほぼすべて見ている。

去年3月の博多座。
勘三郎は難聴で休演だった。
だからチケットを取っておきながら、あまり気が進まなかった。
でも、行って大正解だった。
代演となった勘九郎(当時勘太郎)は、ものすご一生懸命に舞台にいた。
観てて、涙が出た。
あぁ、この舞台を観たからには、あたしはこの親子を一生観続ける責がある、
って、勝手に思った。

実際、勘三郎が休演中、息子2人の伸びっぷりは半端なかった気がする。
観た演目は、どれも清々しく良かった。

だから去年9月の復活公演も、大阪へ観に行った。
そこで踊った「お祭り」は、その歳だからこそ踊れる、
そんな「ふら」にあふれた、かわいらしい踊りだった。
お帰りなさい。あなたの居ない舞台はやっぱりなんだか寂しくて。

そして浅草平成中村座のロングラン公演へなだれ込む。
毎月足を運んだ。1カ月に2回行った月もある。
4月は「法界坊」
5月は「髪結新三」
勘三郎の当たり役ばかりじゃないか。舞踊も全て面白かった。

来年2月の博多座で復活かと、言われていたが、
少し前にそれが難しいと発表があった。
博多座は前回も休演、今回もか。。。と思って、チケットの申し込みをしていなかった。
であれば4月の新しい歌舞伎座のこけら落とし。
楽しみだな、何がかかるのかな。

の矢先の今日。
去年立川談志が死んだ時も、ぽかんとしたが、今回もずいぶんとぽかんとした。
そして、勘三郎を愛してやまなかったいろんな人たちのコメントに涙する。

こんなに愛されて、惜しまれながら死ぬなんて、なんてずるい人だろう。
人間国宝にもならずに、新しい歌舞伎座の舞台にも立たずに、
親子三代の舞台も踏まずに死ぬなんて。
勘九郎の言うとおり「ずいぶんせっかち」。ほんとだ。
親子三代の舞台は観たかったな。
そして私はまた勝手に「責を負う」んだろう。

今日、襲名披露口上で勘九郎は「父のことを忘れないでください」と言ったそうだ。

忘れるもんか。
忘れてたまるかよ。
こんなに人の感情振り回す舞台ばっかりやってて、
忘れようにも、どうしようもないじゃない。
名前も、観たものも、あたしは全部墓場までもってくから。

そうか、責、だ。
と思い、来年の博多座のチケットを申し込んだ。
そして明日、南座へ行く。
きっと良い舞台のはず。
おやじ、せいぜい羨ましがって観てるといい。

自分にとって、「談志、志ん朝、円楽、先代猿之助の舞台を生で見た」
というのは結構自慢。
ここに勘三郎が加わってしまった。
何十年後かに、絶対に誇りになる。

# by pocket-xiao | 2012-12-05 22:27 | 今日ノ出来事